読書とは、「生(せい)」そのものである。

最近、三島由紀夫にはまっている。『潮騒』から三島由紀夫の世界に入り、『若サムライのため』、『不道徳教育講座』、『行動学入門』を一気に通過し、現在、彼の遺作とも言われる『豊饒の海』をいまは読んでいる。『豊饒の海』は四部作となっており、私が今読んでいるのは第二部である。

 

三島作品はむずかしい。時代的な影響もあるのだろうが、三島の悟りに満ちた世界を十分に堪能するには、あまりに私は能力に欠けているといわざるを得ず、正直なところ、ストーリーを追うことに私は必死で、細部にわたる三島世界を味わうことができていない。加えて、本書のテーマである「輪廻転生」に関しては、これまで私自身全く考えたことのない事柄であり、基本的な知識さえ覚束ない私には到底理解できないものなのだ。三島が到達した、地下に何千キロも掘り下げたときにしか現れない悟りの世界は、私のみならず多くの人が理解できぬ世界なのではないだろうか。本書を深く読める人物がいるのであれば、一度お目にかかりたいものだ。

 

さて、この世にはあまたの作家が、あまたのテーマで本を書き、図書館で、書店で、私たちは様々な本を手に取ることができる。多くの人は(特に年配者に多いのではないだろうか)、影響を受けた作家、あるいは本があるのではないだろうか。私の周りにもそうした人はいる。友人Kは哲学者アドラーに影響を与えられ、友人Mは作家・朝井リョウの『何者』に影響を受けたと言っている。それと三島由紀夫にも影響されたって人もいたっけ。かく言う私はというと、朝井リョウ宮本輝ブッツァーティ、斉藤孝、三島由紀夫に影響を受けている。それぞれ人生観を揺さぶらた作品があり、今も本棚にしっかりと入れているほどだ。

 

まあ、それはさておき、とにかく本というものは、我々の人生を変えてしまうほどの力があるということである。世には毒にも薬にもならない小説やら生活実用書やらは多数存在するものの、一方で誰かの役に立つ本も多い。人生の中でどれだけの本を読み、どれだけの「人生を変える本」に出会いるかが、大きなポイントになるのではないか。本を読むことは、あるいは「生きる」ということそのものなのかもしれないと思う今日この頃である。なんてね。